勉強ということ
先日、娘が英検の準一級に合格した。彼女に言わせると今英語を習っている先生が良かったからだという。
次に一級を目指すクラスに移るように勧められて、少しその気になっているが、ついていけるかどうか不安だという。
その先生は大変厳しいらしい。宿題の出来が不十分だと「手を抜いたな」と指摘され、毎回勉強の時間をとられて、忙しく勤務しながら勉学する彼女には大変なのだそうだ。
私は情報技術(ⅠT)の分野で6年間教壇に立っていたが、学生からは「厳しいですよ」「どうしてそんなによく叱るんですか」「生まれてから高校卒業するまで誰もそんなに叱ってくれませんでした」と言われたことを思い出した。
私が良い先生であったかどうかは別として、”厳しく言う”点では上記の娘の先生と似ていると思ったので、「その先生は学者というより、実業界で英語を実務で活用している人か、定年後に先生になった人ではないか?」と聞いてみると、
「今、外資系の会社で日常、英語を使って活動している方なのよ」と言う。
「やはりそうか、社会に出て実務で要求されるレベルをよく知っている先生は厳しくならざるを得ないんだ。」と自分の体験を含めて話した。
特に学校で年間百数十万円~二百数十万円払って数科目~十数科目を勉強している学生を相手にする場合には、一層社会に出て役立つ実力を付けるべく厳しくせざるを得ない訳である。(親に学費を出してもらってそんなこと意識しない学生もいるのも事実。)
一方、私のⅠT工房・パソコン教室にはいろいろな目標・目的をもった方がおられ、卒業して行かれた。
●「仕事に関連して実務に生かしたい」
●「大学の講座で使い、試験に合格し卒業したらⅠT分野で仕事をしたい」
●「趣味やグループの活動で必要なのでその範囲で勉強したい」
●「ホームページ開設などⅠTそのものを趣味にしたい」
●その他
大事なことのひとつが「教える側」と「学び取る側」の目的・目標の認識の一致と
「それに応じた勉強の仕方・厳しさ」だと思う。
「教える」、「学び取る」の間柄はどうしても、「ひっぱる」、「ついていく」の関係がここで発生する。「ついていく側」には前進する(新しいことを身につけ、活用する)気力と、「ひっぱる側」には厳しさが必要になる。
そして具体的な材料(教材)や方法(勉強の仕方)の工夫も大事になってくる。
私は勉強の原点は寺子屋形式にあるのではないかと考えている。
基本的には個別指導・管理ができることが大事であり、目的・目標に応じた人数の設定が不可欠。
厳しさだけで地獄化せず、楽しさだけでサロン化しない面白い工房・教室を目指したいものである。
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